これからの夢
偶然の出会いも生かしながら、どんどん上向きになっていく人生曲線を描いてくれました。
長男とワイヤーアートを作って個展を!
いまちょっと取り組んでいることがありまして、それもあってここに来たんですけど、いろんな人の意見も聞きたいなと思って。こういう子って、絵とか描かせると、才能発揮したりするんです。私は、ワイヤーアートの講師をやっていまして、ある時ある方に、この子に何か描かせて、それをお母さんがワイヤーでなぞって、アートみたいな感じで、やってみない?って、言われて。そんなこと考えたことなかったんで、どーかねーって答えたんですけど、割と相手が本気だったので、そうですか、それじゃ取り合えず、作るだけ作ってみますってことになって。試行錯誤をして、今やっと、どういう風に作っていくのかっていうのが決まったところなので。とりあえず来年目標に、都内で一回展示、個展をやろうかっていうお話を頂いていて。はい、そこに向かって今ちょっと頑張っているっていう感じで。
どうやって作るかっていうと、この子がやるのは絵なんですけど。板にまず絵を描かせて、それを私が彫刻刀で溝を掘る。それで掘った溝の中にワイヤーを埋め込んでいく。いろいろ試行錯誤をして、見つけたやり方が、アクリル絵の具と、薬品が色々あるんですけどね、2種類か3種類あるんですけど、色を重ねていくんですよ、好きな色を選ばせて何色も重ねて、コップの中に入れていくんですね。それで、それの上に板のキャンパスをパカっと乗せて、パサっとやると、放した瞬間ワーッと色が拡がる。それを見てこの子もすごく喜ぶ。それが作品になっていくんです。絵とワイヤーがコラボするっていう感じです。まあちょっとワイヤーが飛び出る絵にしてあげると、視覚障害の方なんかも、触った感覚でわかりますよね。だからそういう方にも楽しんでもらえたらいいなあって思って。なんかそういうのを始めたところです。でもまあ、その流し込むのが、もし気が向かない時には、例えば台所のスポンジにつけて、ぽんぽんぽんぽんとやるのもいいし。そこに楽しいっていうエネルギーを載せたいので。楽しいねーっていうエネルギーを載せて、提供させてもらうっていうことで、私はヒーリング・アートって名付けようって思ってるんですけど。開拓者ですから、もう何とでも言えちゃうんですよ。自分で名付けたら、それがもうそのまんまなんで。
私の中では、都内の個展を皮切りにして広がっていけばいいな、と。一応場所はお貸しいただけるっていうお話はこないだしてきたんですけど、時期は決まってないです。あんまり無理してやらせたくないんですよ。そうすると嫌な感じになっちゃうんで。楽しみながらやって、作品の数が増えたらお願いするっていう感じになるので、半年くらいはみていますけど、まあそれは流れにまかせて。これまでもそうやって生きてきてるんで。多分、これもまたいいタイミングでやってくるだろうって。そして、展示が成功したら、もっと大きくやらせていただく話を頂くとして。まあ仮定ですよ、それは想像ですけど。例えば、デパートの上とか、よくやってますよね。ああいうところを借りて、バーンと出してみたりとか、そういうのを夢見て。はい、そこで、どんどんどんどん名前を売り込んでいって、これからやりたいことのためのお金が作れればいいな、って。
これからやりたいのは、障害のある子、親たちの居場所作り
何でそれをやるかっていうと、やっぱり、こういう子たちが入る施設とか、通う施設とか、本当に少ないんですね。千葉は特に少なくて、あぶれてる子とかが結構いるんですよ。で、自閉なんかがあると、場所を変えると結構パニックになっちゃうんで、一貫して同じところに通わせたいっていうお母さんがいるんですけど、空きがなくて、うちは一日だけだったら預かれるよ、二日だったら預かれるよってところを転々としちゃう。
この子は運よく入ることができて、通わせてもらってるんですけど。この子何かついてるんですよ。何か持ってる。で、やっぱそういう方々を何とかね、落ち着かせてあげたい。安心して通える居場所を作りたいっていう思いがあって。障がいのある子どもたちだけじゃなくて、大変な思いをして育てているお母さんだったり、お父さんだったり、おじいちゃん、おばあちゃんでもいいんですけど、そういう方々も、こう、ちょっとホッとできる場所。ここに来たら、悩みも話せるし、聞いてくれる人がいて、そして情報交換もできて、子供が安心できるとこで預かるよっていう場所を、どうしても作りたいっていう思いがあって。私がつらかったのでね。そう、だから、何とかそういう人たちの力になりたいっていう思いが強くて。
今も悩んでいらっしゃるお母さんとか、周りに沢山いらっしゃるんで、何とかならないかなっていう思いが最初にあって。あっそうだ、今、月一で、徹っちゃんちっていうのをやっていて、同じような立場のママでもパパでもいいし、ご自分が障がいがある方でもいいし、難病の方とか、鬱になったりとか、色んな生きづらさを抱えている方が一杯世の中にはいらっしゃるので、そういう方たちの本当に生きる場所があったらいいなあって言ったら、ある方が、あたしもそれやりたいんだよね~ってなって。え、そうなの~、じゃ一緒にやる~って。一人じゃ心細いもんね~って、話になって二人で始めたんですけど。家でやってるんです。まだ始めたばっかりで、2~3回しかやってないので、ちょっと私もつかみ切れてないんですけど、それもこれからどんどんアピールしていきたいなって思ってます。
そういう場所をもっと作りたいと思ったら、それにはやっぱり、あのお、ぶっちゃけ、ねえ、綺麗ごとじゃないんで、お金が必要になるんです。どうやって稼ぐ?っていうことになると、いくら私が一生懸命パートで働いても、限界があります。月々数万稼いだところで、生活費に消えるだけで。でまあ、これはアカンと。どうやって稼ごうかなと思ってるときに、さっき言った、声をかけてくれた方と知り合ったんです。個展を開いて、名前が売れてくれば、作品も売れるから、そういう方向で頑張ってみないかって言われて、それでお金を稼ぎたい。障がい者の方々のアートみたいなのをソーシャルアートっていうみたいなんですけど。やってらっしゃるかたも、まあ、ポチポチいるんですけど、あんまり知られてないですよね。普通の方に聞いても、そんなのあるの?みたいな感じなので。 もっと、ドーンと行きたいなと思って(笑)。
偶然の出会いで真剣に取り組むことに
私カフェめぐりが趣味なんですけど、ある時フラーっと立ち寄ったカフェで、不思議な出会いがあったんです。私はうっかり忘れてたんですけど、オーナーさんは私を覚えていて、2年前に一回会ってますよねって言われて。今何してるの?って話になって、まあ障害のある子がいるからね、今こういうこと始めてるんだ、って言ったら、そのカフェのオーナーさんが、たまたま新聞の記者さんだったんですよ。ライターさん。今もフリーでライターをやってらっしゃるみたいで、もし本気でやるんなら、僕が記事を書くって。産経に一回記事を載せるようにするから。産経に載りました、っていう実績がつくと、今度は、朝日とか毎日が注目してくるから、そっちに行けるように、頑張ってみませんかって言われて。いやそんな大それたこと考えてないんですよって言ったら、いやいや、そこまでしないと売れないからって言って。じゃあお願いしますってことで、今それを頑張っている。
もう話が固まってしまったので、やらざるを得ない。やるしかない。面倒くせえなあっていうのもあって、結構逃げてたんですけど、もうやるしかないんだと思って。いまそれを一生懸命頑張って、まずは売り出して、育てて、最終的にはそういう施設、居場所をつくるようにしたい。そのための資金稼ぎ。ただ働いているだけだとやっぱり、限界があるし、そこまで資金をためるっていうと、何十年も働かないと無理じゃないですか。たとえ90まで生きても、あと40年しかないってなると、月数万円のパートしてる場合じゃねえわって思って、去年の11月に、パートを辞めて。二足の草鞋はいてると、どっちも中途半端になるので、決断してちゃんと本格的にやろうって思って。とにかく、このことに集中しようって。この子も私がふらふらしてると、集中できないんで。私が真剣なんだよって伝えないと、この子自身が真剣にならないんで。
海外にも居場所を作りたい
同時に居場所づくりも、最初から施設をどーんと建てられないんで、まずはどこかを借りる。ともかくママを癒したい、大変な思いをしてきたママを抱きしめてあげたいって思いがあるんで、そこから始めたいなって。だんだんだんだん資金も溜まってきたら、もっとバーンと。やっぱ1か所だけだとやりきれなくなるので、何か所かは建てたいですね。やっぱ空間を移すと、非日常に行くと、人って切り替わったりするじゃないですか。なので、そういう場所も作ったりできるといいなって思ってます。また頑張ろう、って気になれるような場所を海外にも一個作れたらいいかな~、って、それが夢です。私が死んだ後も、何十年も誰かが継続していけるようなシステムを作らないと、死んでも死にきれないので。この子が死んでも、まだ障がいのある子は生まれてくるので、そういう子たちが安心して、過ごせる場所、安心してパパやママが見届けられる場所、を残して逝きたいっていう気持ちがあるので。
障がい者を隔離しないで、混ぜる教育を
居場所を作ろうと思っても、なかなか難しいんです。養護学校とか施設は、結構、離れた場所にあるじゃないですか。近くに建てようって頑張った方が、過去に一人いらっしゃったんですけど、地元の住民の方の大反対にあって、結局建てられなかったんですね。で、その話がなくなってしまって、また場所を探してらっしゃるんですけど、やっぱどうしても難しい。どうしても差別とか偏見とかが邪魔する。それをなくすにはやっぱり、教育から。障碍者と別々に分かれて育ってきちゃったあとで、大人になってから、障がいがありますが一緒によろしくって言われても、ピンとこないんで。やっぱ小さい時から、分けないで一緒に過ごす教育、障がいがある人もない人も普通に隣にいるっていう生活を経験する場所がもっともっと増えたらいいなあ~って思うんですよね。
だから、この子をドンと世に出して、どういう風に育ってきたのかをアピールさせてもらいたい。幸いにも普通小で6年間過ごさせてもらって、沢山の思い出ができてるので、混ざることのいい点を一杯アピールさせてもらって。周りにいる子たちも、そういう活動をするならば、力を貸すって言ってくれているんです。この子と過ごした日々で自分たちにどんないいことがあったのか、っていうのを語ってくれるって言ってくれているので。障がい者と一緒に、共に生きるっていうことはどういうことなのか、まあマイナス面も今はあるとおもいますけど、どんな良い面があるのか、やっぱり多く知ってもらう。そういう講演活動も、いずれはやっていけたらいいのかなって、思ってはいます。
障がいがある子がいても、幸せに生きられる、と示したい
この子と一緒にやっていくことで、障がいがある子がいても、幸せに生きられるっていうことを、みんなに示したいんですね。私、今、不幸せじゃないんで。やっぱり、どうしてもね、大変だとか、苦労が多いとか、確かにそれはあるんですけど、気持ちは幸せに生きられるよっていうことを伝えたいんです。体はつらいこともありますけどね。
そうやって、何か人の力になれたらいいのかなあって。こうやって今みたいに話を聞いていただくだけで、気持ちって楽になったりすることってありますよね。そうなんだねえって、寄り添ってもらうだけで、大分楽になることってあるんでね。それができたら、いいなあって思います。
(上向きの人生曲線を指さしながら)ゴーンって、この先も行きそうですね。もう行こうって決めてますけど。じゃないとね、心折れてしまうんで、さぼり癖がでるんで。多分、これはやれっていうことなんだろうなあって思ってて。もう、色んな大変な時期は通り越したので、終わってしまったので、今こそっていう。そこくらいまで一気に駆け上がろうと。
私SNSが苦手で、だから全然アップしてないんですけど。どんどんどんどんFacebookとかにアップしなきゃって皆にいわれるんだけど、いやいやそれがね、面倒くさいんだよねーって、結構時間取られるのがすごく嫌いなので。やることがありすぎて、時間がとれないんですよね。ブログ書くにしても、アップするにしても、ちょっと時間とるじゃないですか。もったいないなと思って。(誰かに頼ることを示唆されて)あっそうですね、苦手なことはお任せして。任せよう。自分一人でやろうと思うから、息が詰まるんですよね。のんびり構えて、はい。任せられる人が現れるのを待ちます。
これからですよね。これまでは子供に沢山時間をとられてきたんで。それがやっと自由になれたんで。次男が割とおおらかで、私が家にいなくても、全然何も気にしないので。はい、楽にやらせて頂いてます。
[…] NEW ARTICLE 障がいがある子がいても、幸せに生きられる、と示したい(後編) […]